メトロポリタンミュージアム

met

ニューヨークへ行ったならば誰もが足を運ぶメトロポリタン美術館。
迦楼羅も行ってみました。

場所はセントラルパークにほど近く、ラッキーにも宿泊したホテルからは歩って5分のところに、300万点にも及ぶ所蔵品百科事典的な世界最大級の規模を誇るメトロポリタン美術館がありました。
1日では回りきれないほどの作品の数々、また美術の教科書で必ず1度は見た有名な作品がそこにはあった。ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、レンブラント、憧れの作品を目の当たりにもう興奮が止まらない。会場を走り回った。

しかもフラッシュを使わなければスマホで撮ってもいいんだよ。
『なんて太っ腹』すかさず撮りまくった。

この美術館は国立でも州立でもない、私立の美術館だからかもしれない、さまざまな個人のコレクターの寄贈によって出来たのだ。どおりで『入館料』ではなく『希望額』として寄付を支払うシステムだった。納得である。エラい。
1日では到底回りきれない広さだが、私が大好きな作品を少し紹介しようと思う

 

ゴッホ

ゴッホの自画像

「ゴッホの自画像」

これは誰でも観た事の有る名作。もうじっくり真直で観ました。あまり大きくなくビックリ、裏にも絵が描いてあるんだよ。学生の時キャンバスが買えず裏にも描いたが、そんな苦労を感じた。
解説は下記
フィンセント・ファン・ゴッホ (vincent van gogh)
Self-Portrait with a Straw Hat(obverse: The Potato Peeler)
不世出のまま37歳で自らの生涯を閉じたオランダの巨匠ゴッホは、生まれてすぐに亡くなった兄の命日に生まれたので同じフィンセントという名前を付けられたそうです。
転職を繰り返しているある時に、貧民街や劣悪で過酷な環境の元で働く人々を見て
ショックを受け、貧しい人々を救うために聖書を勉強し一時期は聖職者を志しますが挫折してしまいます。
伝道師になれなかったゴッホはその後、絵画を通して人々の心を救い、癒す為に画家として生きる事を決心し、ゴッホの弟であるテオによって生涯に渡り献身的に経済的、精神的なサポートを受け続けました。ゴッホは生前に多くの手紙を書いていることでも知られていますが、その殆どが弟テオに宛てたもので、ゴッホにとってテオが最もかけがえのない人物だったことが窺えます。
パリ時代にロートレックやベルナールとグループ展をした時にゴーギャンが「2本の切ったひまわり」を気にって意気投合し、一時期は同居生活を送っていたこともありました。
生前はたった一枚の絵しか売れずにモデルを雇うお金がなかった為、多くの自画像を遺していますが、The Metではその中でも有名な麦わら帽子を被った自画像を展示。
他「糸杉のある麦畑」や「2本の切ったひまわり」「アルルの女」など、見応えのある作品が幾つも所蔵されています。

ゴーギャン

ポール・ゴーギャン (Paul Gauguin)あまりにも有名「タヒチの女」

「タヒチの女」ポール・ゴーギャン (Paul Gauguin)
ゴーギャンの「タヒチの女」これもあまりにも有名ではないか、大好きな作品にまた胸がバクバクしてしまう。
解説は下記
ポール・ゴーギャン (Paul Gauguin)
La Orana Maria (1891)
フランス後期印象派の画家で、同じく印象派のゴッホと知り合い共同生活をしていたことがある。タヒチの女性を題材にした作品で知られているが、彼は宗教的な人物で、この作品はゴーギャンならではの宗教絵画と言われている。

 

レンブラント

メトロポリタンミュージアム所蔵

『レンブラントの自画像』
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン

絶対に私が観たかった1枚「レンブラントの自画像」。
レンブラントは『光の魔術師』とも呼ばれその異名通り画面に光をあてたんだ。これまでの平面的な絵画ではなくスポットライトを当てたような光の表現は誰にも出来ないドラマチックな画面を構成する。

絶頂期の「夜警」でその手法は他の追従を許さない、光と影の画家として天才の名を轟かせ称賛を浴びた、私が尊敬してやまない画家だ。
またレンブラントは数多くの自画像を描いている。
絵は依頼に基づいて制作される、だから自画像は買い手が無かった。そのため基本的に自画像は絵の研究の為に描かれていた。
構図や表情さまざまな衣装をまとった自画像には、前時代的な衣装を纏ったものや、わざと顔を歪めているものもある。
未だ評価が定まらない若かりし頃から、肖像画家として大きな栄誉に輝いていた1630年代の頃、そして幾多の困難に遭いながらも非常に力強い姿を描いた老年期のものもある。彼の自画像は、その満ち足りた顔に示されるように、男性像を克明に心理までに至るまで明瞭に描き出されている。

数奇な運命をたどり、レンブラント通りとまで称されるほどの栄華を極めたが、晩年は無一文となりモデルを雇うお金も無かったそうだ。その『レンブラントの自画像』を観た。
この人物がレンブラントかと思うと目頭が熱くなり「師匠お会い出来ましたね〜。師匠〜。」と心の中で叫んでいた。

 

 

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【妖精研究室】 妖精の絵を見たり、描いたり、探したり。 神話や伝説に語られる妖精は、人間と神の中間の摩訶不思議なものらしい。日本にも伝わる妖怪、龍、人魚、天狗も純粋な子供の心で見ると見えるかも知れない。案外すぐ側に。