祇園祭と船鉾

祇園祭

祇園祭今年は中止になりました。
残念なので2018祇園祭「船鉾」巡航を掲載します。

そもそも祇園祭とは何でしょう?
その昔京都平安京貞観11(869)年は盆地で高温多湿の土地に加え、梅雨の長雨で鴨川が氾濫し毎年のように疫病の流行に苦しめられていました。

人々は”怨霊の仕業である”と考え、怨霊を鎮めるために御霊会を行いました。これが祇園祭の起源と言われています。
御霊会は疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭で、疫病も恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられていたのです。

ですから山鉾巡行とは、神輿の渡御に先立って街を祓い清めるために行うものです。山鉾が悪霊を吸い寄せて排除したきれいな街に、神様をお迎えしようという願いなのです。

室町時代に至り、四条室町を中心とする下京地区に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに趣向を凝らした山鉾を作って巡行させるようになりさらに主に猿楽能の演目を写した作り物の「山」が加わることによって、室町時代中期には洛中洛外図に見られるような、今日につながる山鉾巡行が成立したそうです。


船鉾は数ある鉾の中でとっても好きで、カッコいいなあと思う鉾ですが、鉾全体が船の形をしていて、舳先には瑞鳥である金色の鷁(げき)、船尾には黒漆青貝螺鈿細工でこしらえられた飛龍の舵がついています。鉾の上には神功皇后と、皇后を守る龍神磯良(いそら)、住吉、鹿島の三神像が安置されています。

神功皇后は妊娠中に戦に出陣し、戦勝した上に無事皇子を出産したことから安産の神とされています

歴史を遡ること室町時代、『祇園社記』の中で「神功皇后の舟」と記された一項があります。神功皇后ゆかりの船は、「出陣の鉾」と「凱旋の鉾」の2基があったらしく、そのひとつ「出陣の鉾」のほうが、現在の船鉾です。
ちなみに、凱旋の鉾は元治元年(1864)年に焼失した大船鉾のことです。

それぞれの鉾の歴史を紐解きご贔屓の鉾を巡るこんな楽しみ方も面白いですね

ABOUTこの記事をかいた人

【妖精研究室】 妖精の絵を見たり、描いたり、探したり。 神話や伝説に語られる妖精は、人間と神の中間の摩訶不思議なものらしい。日本にも伝わる妖怪、龍、人魚、天狗も純粋な子供の心で見ると見えるかも知れない。案外すぐ側に。